漫画家アシスタント物語 番外編 「それでも、さがみゆき先生は怒らなかった」 その3
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漫画家アシスタント物語 番外編
「それでも、さがみゆき先生は怒らなかった」
その3
さが先生が暮らしていた駒込駅から徒歩10分のシャレたマンション。(40年前は綺麗でした。撮影は10年前)
前回は、ちょっと女性好みの可愛いマンションに住むさが先生(女流怪奇漫画家)の大きな胸のふくらみについて書いたのですが・・・・・・・
胸のふくらみと言えば、さが先生はエッチ系の成人漫画も描いていました。
とても、怪奇漫画だけでは食べていけないわけです・・・・・・・・前回も書いたのですが、200pの怪奇漫画の描き下しでも50万円ほどにしかならないのですから、20Pで10万円になる成人漫画は、貴重な収入源になるわけです。
私がそちらの劇画調背景にまで手を伸ばす様になるのは、もう少し時間が経ってからの事です・・・・・・・まだまだ、この当時の私は素人に毛が生えた程度の技術ですから、当てずっぽうに原稿を黒くしていただけなのです。
季節は、雪が降りそうな冷たい季節でした・・・・・・
京王線の仙川駅から20分・・・・・・木造のボロ下宿。
私は、その一階の3畳一間の暗い部屋の中でコタツの上に原稿用紙を置いて仕事をしていました。
暖房はコタツしかないので、冷たくなった手が痛くてやり切れないものがありました。
手をハ~ハ~と息を吹きかけると、白い息になるほど室内は冷え込んでいました。
それでも、手が冷えるので時々コタツの中に手をいれて温めながらペンを握っていました。
私の部屋の向かい側には、サカモト君という明治大学の学生がいて、彼の部屋の横にトイレがあったのですが、汲み取り式のトイレでしたので夏場には凄まじい悪臭に苦しめられました。
さが先生の背景を手伝っていた頃は、冬でしたのでそれほど苦しくはなかったのですが・・・・・・トイレの隣にいたサカモト君は冬でも大変だったそうです。
下宿の2階にも同じ位置にトイレがあり、長いパイプを通じて下の同じ便槽へ直通していました。
そのため、2階の住人が用便した時に、落下する大便の音が半端ではなかったそうです。(薄っぺらな壁を通してよく聞こえるのです)
お腹を壊している人の便と、元気な人の便ではその着水音が全然違い、食事中であろうと、勉強中であろうと、睡眠中であろうと、と驚かされていたそうです。
幸い、私の部屋までは、その音が届いてこなかったので、仕事や食事に支障をきたす事はありませんでした。
しかし、コタツに入っての仕事は・・・・・・・・ちょっと問題がありました。
それは・・・・・・・・眠気です。
コタツのヌクヌクとした温かさは、やたらと眠気を誘うのでした・・・・・・・
まだ、1ページしかやってないのに・・・・・・・・もう、眠くなってしまう。
食欲なら金がないのですから我慢も出来ますが・・・・・・・眠気を我慢するのはとても難しいのです。
『ちょっと、休むかな・・・・』
と、コタツに潜り込んで横になると・・・・・・・ガッチリ眠り込んでしまうわけです。
こうして、1日目が終わり、2日目が終わると、仕上げた原稿の数が2枚だけ・・・・・・・・なんて感じになるのですが・・・・・・・・
『一日3枚の予定だったけど・・・・・ま、明日、10枚やりゃ~イイわけよ』
などと、一人で自分を納得させていたのですが・・・・・・・・この怠惰な作業ぶりが物理法則の様に続いていくのですから、事態は深刻な状態になっていきます。
約束だった一週間が過ぎても10ページも出来ていない・・・・・・・・・本当は20ページ仕上げる約束だったのに・・・・・・・・・・
なぜか、焦れば焦るほど仕事の能率が悪くなっていくのです・・・・・・・・・
「一週間経ったらァ~、出来上がった原稿だけ持って来てナ~」
優しい声でさが先生は言っていた・・・・・・
しかし、予定の半分しか出来ていないので、電話する事もままならず・・・・・・・そのままグズグズしていると・・・・・・・・・
トントン(私の部屋のドアを叩く音)
「小池さん、電話ですよ」(下宿の大家のお婆さん)
『来た・・・・・・さが先生だ!』
著者紹介
イエス小池 : 1955年(昭和30年)生まれ、高卒。74年、19歳で最初のアシスタントさがみゆきに師事。20歳でかわぐちかいじ、22歳で村野守美、78年、23歳から現在までジョージ秋山に師事。87年「ヤングジャンプ青年漫画大賞」で準入選、同作品でデビュー。96年単行本「サイコホスピダー」出版。08年ブログ書籍「漫画家アシスタント物語」出版。
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[…] (漫画家アシスタント物語 番外編 「それでも、さがみゆき先生は怒らなかった」『その3』へつづく) […]