漫画家アシスタント物語 番外編「それでも、さがみゆき先生は怒らなかった」その5
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この写真は、私が43年前(当時、19歳)に暮らした調布市仙川にあった下宿の玄関です。このドアを開けて奥へ進んだどん詰まりに、共同便所と私の部屋がありました。まったく陽のささない暗い3畳一間でした。
その5
怪奇漫画家さがみゆき先生から「ゆっくり休んで」と言われて、その言葉に甘えないわけがなく・・・・・・・
アシスタントの私はダラダラと仕事をサボるわけですが・・・・・・・・当然ながら、背景画の報酬は入らず・・・・・・・・・1枚500円の約束で、月に80枚から100枚は仕上げるつもりだったのが、その半分にしか届かず・・・・・・・・生活はひっ迫するし、最初は菩薩顔だったさが先生の顔つきもこわばり始めてきました。
「予定より遅れてるしィ~」
などと小言を言われたり、「もっとしっかりせな~ッ!」とハッパをかけられるようになり・・・・・・・・段々と私も追い詰められていきます・・・・・・・・・・
最初は、遅いながらもやる気があったのですが・・・・・・・2~3ヵ月で200枚仕上げる約束が、半分ちょっとしか進まない上に、我ながら下手糞な背景しか描けない自分に嫌気がさしてきていました。
怪奇漫画だからといって、墨ベタばかりで誤魔化している自分のスタイルに矛盾を感じつつも・・・・・・・・・面倒な斜線処理で画面いっぱいにペンを走らせても、ちっとも美しくなく、平板で単調・・・・・・・・・・まったく味わいのない死体の様な絵。(怪奇漫画とはいっても生き生きしていなくては価値がない!)
自分が怠惰で適当な人間であるのは、我慢が出来ても・・・・・・・・・・本当は思ったよりも、自分には実力がない・・・・・・・・・・作画家としては失格であるという現実と向かい合っている事で・・・・・・・・だんだん、憂鬱になっていきました。
漫画家志望者でも誰でも、夢を追う者にとって、自分が無力であり、無能であり、無才脳である事と向かい合わねばならない時こそ、もっとも苦しい瞬間だと思います。
この時期に「頑張れ」だの「努力しろ」だの言われれば、余計に落ち込んでしまう危険な状態です。
ある者はお酒に逃れ、ある者は女に逃れ、ある者は博打に逃れ・・・・・・・・・・そうやって、少しづつ夢から覚めていくのでしょう。
当時の私にとっては、お酒も、女もありません・・・・・・・・お金がまったくないので、逃げ場などないわけです!
まぁ・・・・・・しいていえば・・・・・・・・・寝る事ぐらいか・・・・・・・・
さて・・・・・・・
さが先生との仕事は、いよいよ終盤に入っています・・・・・・・・・
予定していたページ数が、私の遅筆によって足らなくなっていました。
さが先生にとっては、まったく想定外の最悪の事態だったと思います。
単行本「人喰い屋敷」の締め切りが迫り、私が遅くなったために20ページ以上足らなくなった背景画を先生は、自力で埋めなくてはなりません。
そこで、先生が取った手段は・・・・・・先生が依然描いた原稿や、他のアシスタントが描いた描き貯め原稿を差し込んだり、どうにかページ数を水増ししてやりくりをつけたのでした。
まったく面目次第もない話です・・・・・・・・・・本当に、よくこんなアシスタントに給料を支払ってくれたものだと思います。
その上・・・・・・・・・・
さが先生は、仕事が予定の半分しか進まない私をよく心配してくれました・・・・・・・・
「生活できるのォ~?」
「そんなンでやってけるのォ~?」
月々、2万円、3万円の収入で食べていけるのか、健康が維持できるのか・・・・・・・・そんな事を心配してくれていたのです。
実際には、漫画家の立場からすれば・・・・・・・・・
「締め切りに遅れたらど~するのよ!」
・・・・とか、
「ふざけないでよ、この大バカ野郎!」
・・・・・と、罵声を浴びせたくなるところだと思います。
しかし、当時の私は・・・・・・・
裸電球の3畳一間、共同便所の向かい側、陽の指さない万年床の上にコタツを置いて、悶々としつつ・・・・・・・・・・
このままダメになってしまうか・・・・・・・・・・そんな不安を・・・・・・・・・・
まったく抱かないほど(!)呑気に惰眠をむさぼっていました。
「寝るより楽はなかりけり~っとくりゃ」(よだれ拭きつつ)
漫画家アシスタント物語 番外編 「それでも、さがみゆき先生は怒らなかった」 その6へ続く。
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著者紹介
イエス小池 : 1955年(昭和30年)生まれ、高卒。74年、19歳で最初のアシスタントさがみゆきに師事。20歳でかわぐちかいじ、22歳で村野守美、78年、23歳から現在までジョージ秋山に師事。87年「ヤングジャンプ青年漫画大賞」で準入選、同作品でデビュー。96年単行本「サイコホスピダー」出版。08年ブログ書籍「漫画家アシスタント物語」出版。